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3年前から欲しかった薄紫の手袋を買いました。今頃続く長雨のことを、「山茶花梅雨」と呼ぶって某TV局のお天気のおにいさんが言ってました。これでまた、いっそう寒さが増しそう明日の日曜は珍しく旦那と娘の休みが重なるので、長い間(3年くらい?)娘を連れて行ってない私の実家へ行って、ばーちゃん(私の伯母、85歳)に顔を見せる?って尋ねたら、せっかく娘が予定が無いしええよ、って言ったので決まりかけていたのに、ワンボックスカーを停めるいつもの場所が都合で使えなくなり、話はおじゃんに。帰ってきた息子に言うと、「ボク、そんな場合と違うねん。来週の水曜に受験やもん」ええっっ知らないうちに、そんなに間近に迫ってたのか(無関心すぎる母親)短期集中型の息子、ギリギリになってやっとやる気が出たようです。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「代理業一日体験記 CROSS 番外編 」11. (最終回)「可愛そうな女…」 風にちぎれそうになりながらレーゼアの声が響いた。「ジャレツ、あなたばかりがあの方の寵愛を集めてしまったために嫉妬の権化に成り果ててしまったんだわ」「俺にはどうしようもない」「……」 レーゼアは何か言おうとして、唇をかみ締めた。 ジャレツが竜蛇(りゅうだ)軍を出奔した経緯は軍の中では有名なウワサだったので知っている。 愛する妻が皇帝の遣わした監視役だと知ったジャレツが激怒し、彼女を殺してしまったからだ。 俺もそれはジャレツの口から聞いたことはないが、口さがない人間たちのウワサから充分、承知している。 だがこれはジャレツの前では決して口にしてなならねえ禁忌なんだ。最高の相棒と世間で認められている俺でさえ。 スノウバードの喧騒の中に戻ると、いつもどおりの不健康なネオンの群れだ。 ジャレツとレーゼアと別れ、(あのふたりがどこへ消えたって俺の出る幕じゃねえ。どーせどこか安ホテルへでもシケこんだんだろう)まだアパートへは戻る気になれず宵の街をぶらついていると、ポンと肩を叩かれた。 赤毛の少年レイモンだった。「おい、お前、ヴィンセントの替え玉だったんだって?」「えっ?」「本物のヴィンセントが呼んでるぞ。学院まで来てくれって」「何だと?」 やはり気になってレイモンに連れられるかたちで聖ロクセラーヌ学院へ向かう。 すっかり闇に包まれた学院の門前でひとりの少年が待っていた。 俺と同じ顔。さっき、山の中で別れたばかりの皇帝の顔だ。 だが、その表情はリシュダインとはまったく別のどこにでもいる学生の顔だった。皇帝に造られた顔なのかどうか解からねえが。「これ…」 少年は制服のこげ茶のリボンをいじりながら、千ペセテカの札束を上着のポケットからそっと取り出し、渡した。「えっ、これってまだ有効だったのかよ」「とにかく受け取れ」 何か気がかりだったがくれるってものを断る必要は無いだろう。 元々の約束だったんだからな。「じゃ、遠慮なく…へっへ、毎度ありぃ!」 札束をジャグリングのようにもてあそびながら、「謹慎は解けたのかよ?」「あんたにゃ関係ないだろ」 俺は、それもそうだ、とあごをそらせてから学院を後にした。 ヴィンセントは何者だったのか? リシュダインに憑依されていただけだったのか? レイモンはすべて知っていたのか? 元々、聖ロクセラーヌ学院とはどういうところだったのか? すべては、立ち込めてきた黒い霧の中で起こった夢の中の出来事だ。 俺はアパートへ向かって歩き出した。 背後の少年、ヴィンセントの瞳がリシュダインの三日月型の瞳孔に変貌することも知らずに……。 完~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~短い間でしたが、ご愛読ありがとうございましたm(_)mさて、次回からは「雲床(くもどこ)さん行進曲」 ~闘魂!炎のトイレ対決!~を、始めたいと思います。私としては珍しく平成が舞台の上にコメディですヒントは夢から得ました。薄暗く狭~~い公衆トイレの中で、お婆さんがひとりで黙々とトイレの床をデッキブラシで磨いている、そんな夢でした。そこから想像を広げました。引き続き、ご愛読のほど宜しくお願いいたします。尚、回によっては、日常日記と順番(上下)が入れ替わります。又は、別の日記に別れると思いますが、お見苦しい点はご容赦を
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『うる星やつら』は人も知る高橋留美子女史の作品で、原作者は特異な才能を持つた女性漫畫家であり、別に『めぞん一刻』や『犬夜叉』、『らんま……』などの作品でも一世を風靡し、根強い人氣を保つてゐる。 その彼女の描く二次元を、『ルウミツク・ワアルド』と愛好家は呼ぶ。 『うる星やつら』の劇場用の漫映(アニメ)が全部で何作あるか數(かぞ)へる氣にもならないが、その中でも最も優れてゐると思はれる『ビユウテイフル・ドリイマア』を見た。勿論(もちろん)、大抵の作品は見た心算(つもり)だが、これが一番面白かつた。 その面白さの理由は、原作者の高橋留美子女史の所爲(せい)といふよりも、映畫監督の押井守氏の力に負ふ所が大きいと言へるだらう。これはその後の彼の活躍を見るにつけても、さう思はれるのだが、然(しかし)し、本當(ほんたう)の高橋留美子の支持者(フアン)は、この作品よりも他の、例へば『完結編』などの方が好まれるのではないかと思はれる。けれども、作品の出来からいふと、斷然『ビユウテイフル・ドリイマア』が頭拔けてゐて面白い。では、どう面白いかといふと、本來『うる星やつら』は「ラム」ちやんが異星人で、地球人の「あたる」君との宇宙を越えた愛は成就するのか、といふのが物語の軸となつてゐ、これは國際結婚(或いは人種)の問題を、作者がそれとなく考へてゐる證據(しようこ)ではないかと思はれて、面白く讀(よ)めるのだが、漫映(アニメ)ではそれ程大きな主題とはなつてゐず、この作品では荒廢(くわうはい)した未來の友引町──廢墟そのものが自然の一部となつてしまつたやうな美しい光景の中で、樂し氣に遊ぶ主役の「ラム」ちやんと、「あたる」君とその仲間達の姿が序幕(プロロオグ)として現れ、それは直ぐに現實(げんじつ)の學園祭前夜の慌ただしい校内へと場面が移る。この學園祭前夜のハチヤメチヤぶりは、その會話も含めて作者の獨擅場(どくせんぢやう)で、これをして『ルウミツク・ワアルド』と愛好家は喜んで鑑賞するのであるが、軈(やが)て、「温泉(綽名(あだな)で多分この字だと思ふ)」がいつまで經(た)つても學園祭前夜の儘である事の不思議に氣がつき、「サクラ(巫女)」の、「龜(かめ)でも助けたか」といふ言葉に促(うなが)されて、「我々は氣の遠くなる前から、學園祭前夜といふ一日を繰返してゐるのではないか。今日と違ふ昨日も思ひ出せないのに、本當に今日と違ふ明日が來るのか。浦島太郎は龍宮城で夢のやうな日々を過ごしたが、地上では數百年の歳月が流れてゐた。もし龜を助けたのが村人(いや人類全て)だとしたらどうなるか。今話した事も明日になると忘れてゐるとしたら」といふ「温泉」の言葉に、「サクラ」も不安になつて一緒に夜の校舎に辿り着くと、そこには、さつき濟(す)んだ筈の學園祭前夜を、騒然と行つてゐる生徒達の姿が待ち受けてゐた。ここで『學園祭』といふ言葉を、『死』といふ言葉に置き換へると、監督の押井守氏が「温泉」に語らせやうとした内容が、どれ程深いものであるか判らうといふものである。事の眞實(しんじつ)を確かめる爲に、「温泉」は他の先生や生徒を學校の外へ追ひ返すが、その日以降、「温泉」の姿は忽然と消えてしまふ。一方、歸路(きろ)についた主要な生徒達は、その時不思議な少女を見かける。その少女は縁(ふち)の大きな帽子をかぶり、これまた白いフリルのついた洋服を著(き)て、幻のやうに空間に佇(たたず)んでゐる。この少女と、少し後に出て來る、何も食べようとしない豚のやうな可愛い生物が、前振り即ち『藝術的豫感』を充分に發揮(はつき)したものである事が、實(じつ)は後になつて判るのである。「サクラ」の伯父の「チエリイ」を訪ねると、「温泉」より遙か以前に行方知れずである事に氣づき、慌てて學校に歸るべくタクシイに乘るのだが、一向に目的地に到着しない事を訝(いぶか)つて、「たかだか二、三分の距離なのに、まだ着かないのか」と尋ねられて、運轉手に扮した謎の男が答へ始める。「誰でも同じ事を仰(おつしや)いますが、タクシイに乘つたからと言つて、時間が延びる筈はおまへん。お客さん、龜に乘つて龍宮城に行く話を知つてまつか。龜に乘つたのが浦島太郎だけではなく、村人全員やとしたら、全員が龍宮城へ行つて、揃つて歸つて來たとしたら、それでもやつぱり數百年經つた事になりまんのか。誰一人、時の經過に氣がつけへんかつたとしても……。時間は意識の産物なんやから、なまじ客觀的に時間を考へるとややこしなる。世界中に人間がゐなかつたら、時間やカレンダアになんの意味があるねん。過去から未來へきちんと流れる時間はないんとちやうか。確かなんは、かうして流れる現在だけ。お客さん! この儘、龍宮城まで行きまつか。お安すうしときまつせ」といふユウモラスな言葉遣に、「サクラ」は龜に乘つてしまつた事を自覺する。やがて、校門には行き場のない主要登場人物たちが、學校へ戻つた「サクラ」と共に集まり、「あたる」の家に身を寄せるしかない現實を知る。或日、資産家の令息である「面堂」君が、もしもの時の爲(?)に、ある食堂の地下に、飛行機を隱しておいたので、それに乘つて友引町からの脱出を圖(はか)らうとするが、厚かましい主要登場人物たちが、それを默つて見逃す筈はなく、全員で空に舞ひ上がると、そこには驚くべき光景が待ち受けてゐた。その驚くべき事實とは、な、なんと友引町だけが世界から切り取られて、巨大な石の龜の背中に乘つて、宇宙を飛んでゐたのである。そればかりか、失踪した「チエリイ」や「温泉」達が、アトラスよろしく、龜の背中で友引町を持ち上げてゐるのを見てしまつた。その日以降、町は開き直つたかのやうに、今ゐるこの世界の様相を變(か)へ、序幕(プロロオグ)に示された世界へと突入して行く。しかし、奇妙な事に、「あたる」の家の近くのコンビニエンス・ストアの食料は、幾ら食べても減らず、それどころか、家には水道・瓦斯(ガス)・新聞までもが無料で供給され、この衣食住に満ち足りたサバイバル(?)を生き拔く爲に、「メガネ」といふ名脇役は呟く。「退屈な日常よ、さらば」と。さうして、この異常な世界の矛盾に、逸早(いちはや)く氣がついたり、誰かにとつて不都合な人物は、いつのまにかこの世界から消えて行く。「あたる」の元戀人(もとこひびと)で、「ラム」の戀敵(こひがたき)でもある「しのぶ」ちやんや、「竜之介(父親の趣味でつけられた名前で本當は女性だし多分この字だと思ふ)」が續いて消え、「サクラ」と「面堂」が事の眞相を調べると、案の定、龜の上で友引町を支へる石像と化してゐた。次に消えるのは自分しかない、と考へた「サクラ」は、誰にとつて不都合なのかを突き止めるしかなかつた。その誰かとは、「ラムだ!」と「サクラ」の前に呼びつけた「あたる」に、一緒にゐた「面堂」が謎解きをする。しかし、「乙姫がラムでも、龍宮城へ運んだのは龜で、その龜はお前だ!」と言つて、「サクラ」は「あたる」を指差す。「一介の高校生に、そんな事は出來ない」と「あたる」が言ふと、畳掛けるやうに、「本當のあたるは、ここにゐる」と「サクラ」が本人を連れて來る。ここに「あたる」に扮した謎の男が、その正體を現し、「夢邪鬼(ムジヤキ)」といふ魔物である事が解る。「夢邪鬼」とは、血塗られた歴史の暗部で、いつも人間に邪惡なものを吹き込み、ヒツトラアやネロ、釋迦・基督、さうしてアダムとイヴさへもが、お前の囁きに惑はされたのだ、と「サクラ」が言へば、「夢邪鬼」答へて曰く、「夢が邪惡になるのは、夢の所爲(せゐ)やない。人間が惡いんや。わいの造る夢と現實と、どう違ひまんねん。夢使ひにも、夢はをまつせ」結局、「サクラ」と「面堂」も、まんまと「夢邪鬼」の策略に嵌(は)められて、夢の中へと消えてしまひ、龜の背中で友引町を支へる羽目になる。最早、殘るは「あたる」一人となつてしまつたが、彼は「夢邪鬼」と取引をして、ハアレムの生活を實現する。だが、その中に「ラム」がゐないといつて文句を言ふ。「ラムから逃げてばつかりやつたんやから、別にをらんでも、かめへんやないか」と言つて怒る「夢邪鬼」から、魔法の喇叭(ラツパ)が「あたる」の上に落ちた。それは「獏(ばく)」を呼ぶ爲のものである事を知つた「あたる」は――その時速く、かの時遲く、「あたる」喇叭を手に取りて、「いざ、現實に歸還せん」と呼ばはれば、夜空も裂けよ打ち響き、喇叭の音色、「あたる」の家の豚とも見えし生き物に届かん。すると、あ~ら不思議や、豚、音を聞きし時、目をば爛々と輝かせ、忽(たちま)ち空に舞ひ上がり、巨大な「獏」となりて、夢の世界をば喰らひ始めたるなり。ババン、バンバン!といふところで、ここから再び『ルウミツク・ワアルド』が展開されるのだが、その面白さは本篇を見てもらひたい。「夢邪鬼」は自分の夢を壞した「あたる」を許さず、フランケンシユタインや「カムイ外傳」の話を捩(もぢ)つたり、時にはSF物の話まで捏(で)つち上げ、最後に、DNAの遺傳子のやうに秩序立てられた輪廻の輪の中で、「夢邪鬼」が「あたる」に話しかける。「夢やからこそ、やり直しがききまんねん」と云ひながら、「莊子」まで引用して、「こんな話を知つてまつか。蝶になつた夢を見た男が、目を醒まして、一體、ほんまの自分はどつちやろう。もしかしたら、ほんまの自分は、蝶が見てゐる夢の中にをるんとちやうやろうか、てね。夢やたら、現實やたらいふても、所詮、それは考へ方ひとつや、わいの造る夢は現實と同じなんや、そやから、それは現實なんや」強引に結論を「夢邪鬼」から言はれた「あたる」は、しよんぼりと球形の上で坐つてゐた。すると、「教へてあげようか」と言つて、白い服の少女が現れ、どうすればこの世界から拔け出せるかを解明してくれる。それは『オズの魔法使ひ』のやうに、好きな人の名前を呼びながら、兩足を揃へてここから飛び降りるのだと言ひ、「そのかはりに、約束してくれる」と言つて、帽子の縁(ふち)を上にあげて、子供の頃の「ラム」の顏を見せながら、かう言つた。「責任とつてね!」なんと、白い服の少女は、「ラム」ちやんだつたのでありました。と、ここまでの話の持つて行き方の巧(うま)さは絶妙で、活劇(流行「通俗性」)の使ひ方で、讀者を魅了する術(すべ)を心得たものだと言へ、そこに主題の哲學的な命題(不易「普遍性」)もあるので、この監督の才能を認めても良いやうに思ふ。さうして、哲學的主題を如何に現實社會に照射させて、鑑賞者に具現するかが藝術家の使命だとすれば、このアニメも、また藝術作品だと言へるのではあるまいか。しかし、アニメとして最も秀逸だつたのは、俳優で百戰錬磨の曲者、藤岡琢也を「夢邪鬼」の聲優に起用した事ほど、見事な配慮はなかつたと言へる。更に、このアニメは、何故さうなつたのか、といふ探偵小説(活劇ともいふ)のやうな、讀者を飽きさせない爲の謎解きもあつて、最後にこれまで提出された一切が、論理的に解決してゐたり、納得出來た上に、感動さへ生まれるのが良い作品だとするならば、この作品は、その條件を滿たしてゐると言へるだらう。さうして、「夢邪鬼」と「獏」が本來はコンビであつたといふのも、何か象徴的な結末のやうな氣がする。しかし、最も面白いのは、映畫を見終つてからが夢でないと、誰が言へるのかといふ事ではなからうか。
・・本日10月24日、夜は飲みに行って来ます。飲みに行って来ます!「厨十兵衛」に!!大切なことなので、2回言いました。風邪で潰した一週間にとって、完全復活を言うなら今日を経てこそ!!個人的予習日記……とは言え、きっと、この頃とはまた別の日本酒が入っていたりして、それがとても楽しみです。・・【 9月20日日曜日・厨十兵衛 】シルバーウィークの中心に、僕とYkさんは「厨十兵衛」に遊びに行きました。入って直ぐのカウンターに座ります。右隣には1本前の電車で松本に向かっていた、kenchieさん、Skさん夫妻が日本酒を楽しまれていました。こうして並ぶのは何だか久し振りに感じます。「和」「団欒」と言うものは、「囲」、テーブル、面を合わせる場に在る印象がありますが、こうして肩を一列に並べること、笑顔を並べる事でも「和」はきっと存在し、日本酒と料理を美味しく楽しむ事は出来る。この日、4つ並ぶ笑顔を、店主であるIdさんはどんな風に眺めたのでしょうか。僕らの美味しい気持ちが届いていれば嬉しいですよネ。【 栃木・姿&石川・宗玄 】栃木・姿・純米吟醸無濾過原酒ひやおろし、石川・宗玄・純米原酒ひやおろし…からスタート。「姿」もここ「厨十兵衛」で見掛けると頼みたくなる、信頼できる、そして美味しさをいつも期待してしまう銘柄。香、味のバランスが良く、メモは、まず「旨い!」と言うコメントから始まります。後味にやや若さを拾うものの、充実しつつある全体に程好いキレイさ、やはりバランスのまとまり。「宗玄」は、過去の経験から香系だと思って注文してみたのだけれど、金沢酵母…きょうかい14号酵母寄りの、香は比較的おとなしめで味重視の雰囲気。どちらかと言うと、田舎的な…長野近辺で触れ合うものに近く、甘味が強めで、幾分骨太なイメージも抱く味わいでした。【 ボタンエビ 】ここ最近、アイシティの「寿司・一番」に行く事が多いです。ボタンエビが美味しいんです。そんな事から覚えが良かった事もあり、お刺身のメニュウの中から、「ボタンエビ」を選びました。急速に「好きな海老」ランキングを登りつめている感があります。身の甘さ、旨さとハリと艶かしさ。この組み合わせがなんとも美味しいものですよネ。腹にむしゃぶり付くのは、命を食べる旨味なる感覚。【 神奈川・相模灘&岐阜・房島屋 】続いてお願いした日本酒は、神奈川・相模灘・特別本醸造生、岐阜・房島屋・純米無濾過生原酒17BY…の2種でした。相模灘の特別本醸造、すごく良い印象があったので、楽しみに飲みます。少し洋酒にありそうな木のほどけるような香を拾い、ミルク、シルク…滑らかな雰囲気と、柔らかく乗るコク味が美味しいです。生酒と言う事で、この秋口まで熟成が進み、それも好みの方向に伸びて来た様で、美味しい。けれど、こうした熟成酒系、“Ykさんは苦手かもしれない”…と聞いてみると、これがまた「美味しい」との答え。先入観で判断すると、こうした驚きや、美味しさから遠ざかってしまう場合もあり、やっぱり1度は飲んでみて、ダメだと思うのではなく、今日は苦手だけれど明日は分からない、その瞬間の出会いの様な美味しさを、ちゃんと把握して捕まえるべきですネ。「房島屋」は更に同系統、熟成の香が強く感じられます。醸造年度が17BYと言う事で、秋が深まり、21BYが造られ始めている今からすれば、3年以上前のお酒になり、熟成感の強さは当然。味わいは年月の経過においてもへこたれず、強く一升瓶の中で熟れていた様で、ダイナミックな雰囲気を持ち合わせていました。力強く、飲み込んで美味しい感じ。【 タコとキュウリのごま油和え 】【 タコのみそ和え 】メニュウには日付のほか、「今宵の酒の肴」の文字も。この日は、毎回頼む通称「タコきゅう」のほかに、「みそ和え」も登場していました。この「みそ和え」には大いに「酒の肴」たる味わいを感じます。【 愛知・奥&島根・王禄 】続いてお願いしたのは、ここ最近、飲む機会がなかったなぁ…と感じ、飲みたくなって注文した「愛知・奥・純米吟醸無濾過無調整原酒“熟・2007BY”」と、本来ならば僕の好みに近いはずなのに、逆の好みのYkさんにも気に入られつつある「島根・王禄・超辛純米生詰18BY“冷や降ろし”」を。もちろん僕が飲んでも美味しいし、ふたり共に「お気に入り」銘柄として数えられている日本酒です。そんな「王禄」、充実、そして大成の味…と言った風情。辛味、旨さ、そして酸のハッキリとした顔立ち。強くあるけれど、キツくなく、堅過ぎずに、柔らかすぎずに、適度に万感の思いを抱かせる。「タコのみそ和え」とも相性が良くて、小さめグラスで楽しんでいましたが、あっと言う間に進んでいましたネ。「奥」はそんな「王禄」と比べてしまうと、やや平坦にも感じられる酒質。けれど、含んだ際に広がる香の彩りは良く、アルコール感の出方からも、「みそ和え」よりも「タコきゅう」の、塩ときゅうり、トマトの味わいと相性が良い様でした。【 ボタンエビ頭揚げ 】身を食べ尽くした上で、更に頭を揚げてもらいました。2度美味しい感覚。この海老殻の香ばしさは他に替え難い美味しさですよネ。【 静岡・磯自慢&島根・開春 】続いてお願いしたのは、静岡・磯自慢・純米吟醸“山田錦”、島根・開春・生もと“山口”純米生原酒…の2種類。「磯自慢」は王道の日本酒らしい雰囲気。Ykさんとは特に相性が良い静岡らしさで、お気に入りの日本酒。「開春」はバランス良く、キレの存在感があり、奥ゆかしい香に味わいを楽しむ構成。最奥にどこか苦味が残りますが、むしろ全体を締め括るイメージも。きっと今の冷えた状態では冷えた美味しさが、温度を変えることで、まろやかさや多彩な味わいを見せてくれる気がしました。【 揚げ出しいろいろ 】一見サラダの様にも見える彩ある揚げ出し。ツユの香もさることながら、ミョウガやパプリカ、エリンギまでと、見た目も香も、もちろん味わいも、なんと楽しめるボリュームである事か。ひとつひとつ、旨いダシにタネの旨さも光る感覚。満足の一皿!【 山形・十四代&山口・貴 】本日最後の1杯は、山形・十四代・中取り純米無濾過生“角新純米”20BY、山口・貴・純米吟醸“備前雄町”生詰…を選びました。「十四代」、上立ち香には熟れの気配が強いのに、いざ口に含むと良いお酒の香が生まれて来る感覚。苦味や渋味もしっかりとしていて、ゴツ過ぎない程度に体が成っている。「貴」は実にスマートかつシャープ。心地良い疾走感があり、味は旨味が乗り始めていて美味しい。【 新物カキフライ 】「揚げ出し」でかなり満足はしていたのだけれど、どうしても食べたくてお願いした最後の一品。大粒のカキフライ。街の居酒屋さんで出会ってこそ、「この季節になったか」と感じます。素直に嬉しい。熱くて口の中の火事と格闘しながらも、牡蠣の旨さを、フライの香ばしさを衣の甘味も、みんな味わう。粒揃いの彼らを次々にやっつけて行く至福。お腹いっぱい食べました。そうそう、kenchieさん夫妻もこの新物のカキフライ、お願いしていたハズ。やはり季節の味をその季節に、似合いの日本酒と共に味わう事は、幸せですネ。・お腹いっぱいになったところで、今日はここまで。心からの「ごちそうさまでした」を伝え、「厨十兵衛」をあとにします。そして、四柱神社にお参りをして、いつもの土曜日ならば、これから「摩幌美」へ向かうところですが、日曜日、加えて酋長はスコットランドに取材に向かっている頃、それならば…と向かった先は、また次回。
津軽の手踊り。 検索したら、動画もありますね。 今は連絡もある青森出身の手踊りをされる私よりずっと若い女性が、名古屋での津軽の音楽の催しで踊られたのをみて、驚きました。一緒に行ったニューヨーク暮らしの長かった同僚もあれは何だ?!と驚いていました。 手の動きと目の動きがすごくあって、そこが盆踊りなど、阿波踊りもですね、顔を見せなかったり指先の手の動きはわりと単調(なように見えます)なのとは全然違う。全然違うものが引き継がれるということがあるということを忘れてはいけない、とかは言わない。実際そうだから。 でも、一度身近で見て、聞くのと、ただCDで聞いたり、ビデオで見たりするのとは違う。そこの違いをもっと大事にしないといけない。また、あらためて、当り前だけど、e-learning とか、言っている人たちの問題を感じた。何のために集まるのか。教室という特殊な空間の問題も論じられてきました。生徒の側の問題、先生の側の問題、教育行政の問題、いくらでもありますが、大事なことを問題にしないと。
早起きは一文の得と言うからラジオをつけてみたらなんだか土臭いブルースなんだかみんなスマートになってしまってなんだかみんな頭が良くなってしまってもうこんな田舎の音楽はもうこんな草が生えてるみたいな音楽ははやらなくなってしまったけれど今朝の一文の得は、ライクーダーの音楽だ
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